旦那さんが不倫をしているというのはよくある話。
しかし、その不倫相手がまさか実の妹だったなんて…。
今回はそんな体験を実際にしたという女性の実話を紹介します。
目次
プロフィール

- 現在の年齢:32歳
- 不倫された当時の年齢:21歳頃
出会いは合コン
私は今結婚して12年目になります。
これは結婚3年目の春頃に私が夫にされた不倫の話になります。
夫と出会ったのは当時、私が20歳になったばかりの頃でした。
前の彼氏に振られて落ち込んでいた所、友人が新しい出会いがあれば何か変わるかもしれないと、食事の場をセッティングしてくれた事が始まりです。
形式的にはいわゆる合コンと言う形で、私の友人女性何名かと、友人の男性何名かで食事会を開きました。
そこにいたのが当時、私より4歳年上の夫でした。
食事会でのお酒も進み、意気投合した私達は二組に別れカラオケに行く事になりました。
そこで連絡先を交換し、「後日時間が合えばまた二人で会おう」と約束し、その日はそこで解散しました。
その後、すぐに連絡を取り合った私達は二人で会うようになりました。
告白はサラッと
その頃は仕事も忙しく、会うと言っても夜にしか会えなかった為、ドライブしながら喋ったりするくらいしか出来ませんでした。
いつしか互いに好意を持ち始めたのか、夫の方からの告白で付き合う事になりました。
告白というほど大それた感じではなく「付き合う?」みたいな軽い感じの言い方だったのを覚えています。
それでもその当時の私はそれが嬉しくて、すぐに返事をして付き合う事になりました。
順調だった恋人時代
付き合い出してからは夜しか会えなかったりしていた分、次の日の休みが決定していればどちらかの家に泊まったりしていました。
夫が友人とのボーリングに行く時に初めて「一緒に行く?」と聞かれた時は、やっと友人に紹介して貰えるのか…!と思い、とても嬉しかったです。
その後も夫の友人と遊びに行ったり、私の友人達とカップルで遊んだりして、とても楽しかったのを覚えています。
夫の両親とも仲が良くなり、遊びに行けば何事にも気を使ってくれる人達で、当時はとても充実していました。
プロポーズは温泉で
その後、夫の父親が亡くなるという事があり、結婚前ですが一応夫の家にも出入りしていたので、通夜から葬儀まで参列した際に、夫の親族に「いつ結婚するんだ」と凄く言い寄られたのを覚えています。
そうこうしている間に付き合って半年が経った頃、二人で温泉に行きました。
家族風呂がついたお風呂で二人でのんびりお風呂に浸かり、上がって着替えをしていた時に夫が突然「もう半年だね」と呟いたので私は普通に「そうだね」と返事をしながら着替えをしていたら、夫から突然「結婚する?」との一言。
一瞬耳を疑いました。
それを聞いて私はただ「うん」と返事をするしかありませんでした。
内心嬉しくて泣きそうだったのを覚えています。
その時の夫の顔はどこか恥ずかしそうにしていました。
なんでも言いたい事は言い合っていた私達は「付き合う時もプロポーズも締まらないね」と二人で笑いながら話していました。
到底、プロポーズと呼ばれるような言葉では無かったですが、私にとってあれがプロポーズで凄く嬉しかったのを覚えています。
自分の親に結婚報告
それから、私の実家に結婚の話をしに行ったのですが、夫はなかなか話を切り出せず、煮え切らない態度に我慢できなくなった私の方から、親に話してしまいました。
結局は自分の親に結婚報告をしに行ったような形になりました。
夫の親には何とか伝えられたらしく、泊まりに行った日の朝に言ったみたいで、2階の夫の部屋から1階に降りると義母さんに詰め寄られ「こんなんで良いの?こんな息子で後悔しない?」と言われ苦笑いをしたのを覚えています。
その後、婚姻届を二人で市役所に出し、お互いの親族との顔合わせも済ませました。
その顔合わせの挨拶のときも、夫は本当に締まらなくて、見ているこっちが恥ずかしくなり、少し苛立つような事もありました。
結婚式は挙げず、写真だけ撮影を済ませてから、新婚生活がスタートしました。
夫の家族との同居生活
夫には3人の姉弟がいて、1番上のお姉さんと1番下の弟は結婚して家を出ていたので、当時の同居生活は夫の母親と祖父、それから2番目の弟が一緒に同居生活をする事になりました。
結婚してからは家事をやり、自営業だった為、仕事の手伝いなんかもしていました。
いわゆる嫁姑問題なんかもありましたが、それなりに仲良く暮らしていました。
結婚してから一年半が経った頃に長男が産まれ、更にすぐに次男を妊娠し家事や育児に終われながらも幸せに暮らしていました。
しかし、夫の実家は市街地から外れていた事もあり、周りに友人関係もなく、外出もそんなにしなくなり、少しずつストレスが溜まるようになってきました。
妹が遊びに来るようになる
ストレスを発散する為によく私の妹夫婦が遊びに来ては、一緒にお酒を飲んだり食事をしたりしていました。
私と妹はとても仲が良く、遊びに来て話したりしている間に、夫もいつのまにか妹と仲が良くなっていました。
そんなある日の事、普段通り妹が遊びに来て子供達を寝かしつけてから大人達だけでお酒を飲んで話している内に、いつの間にか私は眠ってしまっていました。
ふと目が覚めると電気は消されていて隣に寝ている夫の携帯だけが薄く光っていました。
毎回妹が遊びに来る時に何かコソコソ話をしているなと感じた事がありましたが、特に気にもしていませんでした。
その時、夫の携帯を微かに見てしまうまでは。
不倫相手がいる…?
暗闇の中で携帯を触っていたのを微かに見るとそこには女性の名前が映っていました。
聞いたことのない名前で、もしかして妹経由で他の女性でも紹介して貰ったのか…と思いました。
とても悔しくて悲しい気持ちになり、見ないふりをして布団を被って寝ようとしましたが、なかなか寝付けず朝になってしまいました。
今思えば、それもそこから既にバレないようにと工夫していたのでしょう。
それから少しずつ夫の行動を見て疑ってはいましたが、特に目立った行動も無く、携帯を四六時中持っているのと、なんだかやけに優しくなった事以外は特に何もありませんでした。
夫は普段通り、仕事が終わればすぐに帰宅していました。
もしかしたら携帯を覗いたのがバレて、暫くは大人しくしているのかも…?と思ったりもしました。
夫の異変に気付く
数日が経ち、私も女性の存在を忘れかけていた頃、突然に夫の食欲が減退しました。
普段は大食いでどんぶりで盛ったご飯を何杯も食べた後に、お菓子まで食べるような夫が普通の茶碗一杯のご飯を食べなかったのです。
お菓子にも手をつけずその日の食事はそれで終わりでした。
私は何か味が変だったのか、風邪でも引いたのかと勘違いをしていました。
夫に聞いても風邪気味としか言いませんでした。
それ以外の態度の変化はなく、その日はそれで終わり、夫は一人で眠りについてしまいました。
次の日、私の人生最大の衝撃的な出来事が発生しました。
ごめんなさいのメール
普通に仕事から帰ってきた夫は、誰かとメールをしているようで、
「今日の夕飯は要らないから。友人と飲みに出掛けるから」
と言われ、私は普通に了承しました。
夫の家は市街地からだいぶ離れていて、「帰りはどうするの?」と聞くと、「タクシーか最悪車で朝まで寝てから帰って来る」と言われました。
完璧に信用していた訳ではありませんが、嘘と決めつけるわけにもいかず、仕方なく了承しました。今まで前科があったわけでもないので。
何も知らない私は、たまには1人でゆっくりするかと呑気に考えていました。
その日の夜は虫の知らせという物なのか、子供達が夜泣きしている訳でもないのに、夜中に勝手に目が覚めては暗闇の中夫が居るかどうかを確認し、携帯のメールをチェックしてはまた眠る…という事を朝まで繰り返していました。
朝方になり睡魔と戦いながらうとうとしていると母親からの電話で起こされました。
内容は「あんた、、、旦那家にいる?」という内容でした。
起きてみると夫はまだ帰ってきてはおらず、窓から外を覗いても車が無いのを確認した私は、昨日夫に言われた事を母親に話してみました。
「まず、メールを見た方がいい」
と母親に言われ、電話を切った後にメールを確認したら一件のメールが入っていました。
ただ一言。
「ごめんなさい」
それだけのメールでした。
寝起きで訳も分からず頭が混乱する中、もう一度母親に電話をかけて確認をすると同じようなメールが母親の方にも届いていたそうです。
それも夫からのメールではなく、妹からの。
訳が分からずに頭が真っ白になりました。
夫は私の妹と不倫をしていたのです。
涙が溢れてきて止まりませんでした
事実を確認しようにも夫も妹も電話には当然出ません。メールの返事もありません。
一夜にして音信不通になってしまった事実に、私はどうしていいか分かりませんでした。
今思えば二人で入念に話し合って、いろいろ決めていたのでしょう。
しばらく落ち着いてから子供達を1階に降ろして、お義母さんにもこの最悪な自体を知らせなければと思っていました。
しかし、なんと言ったらいいか分からず、中々切り出せずにいました。
お義母さんは何も知らず、
「帰って来ないねー」
と言っていたので、更に言いづらくなりました。
ですが、ちゃんと話さないことには、この状況は解決しないと思い、お義母さんを呼んで経緯を説明しました。
今朝方、私の母親から電話があった事。
妹と一緒に居なくなった事。
お義母さんに話しているうちに、ようやく自分でも理解が追いつき、説明する度に涙が溢れてきて止まりませんでした。
苦しくて胸が痛いとはこういう事かと思う程、涙が出るにつれて本当に胸が痛くなりました。
夫の実家から自分の実家へ
お義母さんに、
「今後どうするのか?」
と聞かれ、荷物を纏め子供達を連れて、とりあえず私の実家に帰る事にしました。
夫が車に乗って行ってしまった為に私の車は無く、母親に電話をかけて迎えに来て貰う事にしました。
荷物をまとめている間、お義母さんは子供達をずっと抱きしめながら、頭を撫でていました。
迎えが到着し、両親が謝りながら申し訳なさそうにしていたのを見て、私はまた胸が痛くなりました。
母親が荷物を積み込んでくれている間に、お義母さんがポツリと一言私にお願いをして来ました。
「別れても子供達(孫)の面倒を見させてくれるかな?」
と、悲しそうに微笑みながら言っていました。
その時点ではまだ私は離婚は決めていなかったので
「当たり前です」
と精一杯の笑顔を返し、そこで別れました。
毎晩泣いた
いざ、実家に向かおうと車に乗り込むと、そこには妹の子供が乗っていました。
私は更に驚き、母親から話を聞くと、なんと妹は母親に子供を任せて出ていってしまったそうです。
母親が子供を置いて出ていくなんて、テレビでしか見た事がないような事が本当にあるんだな…と他人事のように思っていました。
私の母親は仕事をしていたので、一気に3人の子供の面倒を私が見る事になりました。
いまだに夫と妹へは電話もメールも繋がらず、途方に暮れながら徐々に二人への苛立ちが増していました。
朝は子供達に囲まれ、辛さや悲しさを忘れる事が出来ましたが、夜になり子供達が寝たあと1人になると、悲しくなってしまい、毎晩泣いていました。
「なんで私がこんな目に会わなきゃならないんだ」
「私の何が悪かったのか、魅力がないから不倫されたのか」
「そもそもなんで妹なんだ」
と、毎日毎日同じ事を繰り返し考えていました。
夫の車が見つかる
それからは、私とお義母さんとで警察に届けを出したり、夫が持ち出した銀行のカードを止める為に銀行へ行ったり、市役所を回って歩いたりと、とても忙しくて大変な毎日が続きました。
それでもお義母さんは、朝から夕方まで子供達の面倒を見に来てくれて、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちで一杯になりました。
ある日の事、警察から連絡があり、探していた夫の車が通過した道路の写真が見つかったと言われました。
その場所は2時間近く離れた場所で、しかも見つかった写真の日付は3日以上たっていました。
その時はまず生きているという事実ににホッしました。
失踪当時は、勢い余って死のうとしていないか…という心配もありました。
ですが、3日も前の写真じゃ今は更に離れた場所に居ると思い、はたしてどう探せばいいものか…と悩みました。
手紙が届く
数日が経ったある日、今度は夫が乗って行った車が実家に送られて来ました。
運送会社の方から鍵を受け取り開けてみると、中には一枚の手紙がありました。
「本当にごめんなさい」
とだけ書かれていました。
その手紙を見た瞬間、一気に苛立ちが襲ってきまささた。
どうしようもない怒りと悲しみが混ざっていましたが、その時は怒りの割合の方が大きかったと思います。
車の発送先を確認した所、住所はとある港町にあるフェリー乗り場でした。
遠くに行ってしまったのか…という感覚と、どこまでも逃げるつもりなのか…と呆れ・悲しみ・怒りが混ざった、とても複雑な感情になりました。
夫の現住所を特定
後日、用事があったので市役所へ行くと、今度は受付の人に
「旦那さんの住所が変更されてますが、合っていますか?」
と聞かれました。
そこで住民票をもらい確認したところ、ついに二人の居場所を特定することが出来ました。
その頃にはお義母さんの気がだいぶ滅入ってしまっていて、占い師に夫の居場所を聞いたりと、見ていて本当に心苦しかったので、住所が分かっただけでも心が軽くなったように感じました。
お義母さんは特定した住所に手紙を送り続けました。
私は電話をかけても電源が切られていたので、メールならいつか見るだろうと、ひたすらメールを送り続けました。
話し合いも出来ずにいるのが本当にもどかしくてどうしようも無かったです。
連絡がつくようになった
ある日一通の手紙がお義母さんに届いた事をきっかけに、メールの返事も来るようになっていきました。
最初は妹からのメールで、謝るばかりで全く話が進まない状況でした。
「今後どうしたいのか?」
と聞くと、
「帰る気はまだない」
と言われました。
夫も同じく謝ってばかりで、
「離婚届はそっちに送った方がいい?」
とこんなときにまで人任せな態度に腹が立ちました。
正直、離婚はしたかったのですが、小さな子供達を抱え、仕事も出来ない状況ではたして生きていけるのか…と不安に感じいたので、離婚には踏み切れませんでした。
妹が夫の子供を妊娠
何度も話し合いを続けているうちに、今度は妹が夫の子供を妊娠したと言い出しました。
それを聞いた瞬間、怒りよりも二人に対して心底呆れてしまいました。
妹は
「子供は産みたい、夫も良いと言ってくれている」
と。
何を言っているの…?と私は正直訳も分からないという状況でした。
私はもしかして宇宙人とでも会話しているのかな…?そんな風に思ってしまいました。
自分の子供は置いていったくせに、夫との子供を産みたいという二人の神経が理解できず、怒りしかありませんでした。
自分勝手にもほどがある。
子供をなんだと思っているんだ、と思わずにはいられませんでした。
そして、私の立場、思いはどうなるんだと。
二人とも私の気持ちなんか考えていないのかと思うと、なんだかとても虚しい気持ちになりました。
流産
私の母親が何度説得しても、妹は「産みたい」の一点張りでした。
私は呆れて
「勝手にしたらいい」
と伝えました。
私の周りの友人からは「絶対に離婚した方がいい」と強く進められていましたが、シングルマザーである私の母親は「離婚はまだ早い」と私に言いました。
「今はまだ子供達を育てられない状況だし、厳しいかもしれないが離婚は子供が大きくなってからの方がいい。もう少し考えた方がいい」
と言われて、私も確かにそうだと思い、「今は私が我慢すればいい話だ…」と無理矢理納得しました。
その後、母親が何度も説得をしてくれている間に、妹は子供を流産してしまいました。
妹が子供を流産して何も無くなったと思ったのか、帰らないとあれほど言っていた二人が、
「本当に反省している。やっぱり帰りたい、子供に会いたい」
と言い、何度も謝罪を繰り返しました。
子供たちのために再度一緒に暮らすことに
謝罪されたからと言って済む話ではないのですが、反省したという言葉を信じてみる事にしました。
夫には
「あなたを許した訳ではなく、子供達の為に一緒にいるだけだから」
と念を押すと、
「それでもいいから子供達と一緒にいたい」
と夫は言いました。その言葉を信じて、離婚をせずに一緒に暮らして行く事を決めました。
二人の自由で勝手な言葉や行動は、今でもまだ許せた訳ではありません。
むしろ本当に反省してるのか、この壮大な不倫事件の事を忘れているんじゃないか?と今だに疑問に思い、疑う事もあります。
その当時は、私も不倫を仕返してやろうとか、そういう事を考えた時もありましたが、今ではしなくて良かったと思います。
不倫をするという、夫と同じような人間にはなりたくなかったですし、今後もし離婚の話が出た時に、自分に不利になるような事は避けたいと考えていたからです。
二人が帰ってきた
その後、夫の仕事やマンションの引き払いなどもひと段落して、ようやく二人が帰ってくる日が決まりました。
車も無く、最寄りの駅も遠かった為、
「申し訳ないけど迎えに来てくれないか?」
と言われ、私が二人を迎えに行く事になりました。
自分達で帰ってこれないのか、なんで私が全部世話してやらなきゃならないんだと、イライラしながらも、仕方なく駅まで子供達を連れて迎えに行きました。
夕方に電車が到着し、二人が降りて来たところを私は真っ直ぐに見る事が出来ませんでした。
何を話せばいいのかも分からず、会話もあまり無いまま車に向かおうとしたとき、当時2歳になっていてあまりはっきりと言葉を喋れない長男が夫を見て、初めて「パパ」と呼んだのを今でもはっきりと心に刻まれています。
それを見た瞬間、私は泣いてしまいました。
これまで貯め込んでいた物が全て溢れてきて、必死に涙をふいて、長男の頭を撫で続けました。
私の決断は間違っていなかったのだ、これで良かったのだと。
何も知らない子供達にはどんな人であろうと親は親で、必要な人なんだと。
これからは子供達の為にもっと頑張らなきゃいけない。そんな気持ちにさせられました。
不倫の理由
二人は一旦、私の実家に帰宅しました。
その場には母親とお義母さん、そして妹の旦那がいました。
二人は頭を下げて謝り、妹は離婚届けを旦那さんに渡すと、旦那さんはすぐに出ていき私達だけが残りました。
今回何故そんな事をしたのかと問いただしたところ、妹の旦那があまりにもヒドい旦那だったそうで、それを見て助けてあげたくなったそうです。
それを聞いた私は、
「なんで妹を助ける為に不倫をしなければいけないの?」
「夫が妹を助けたら、私は誰に助けてもらえばいいの?
「ヒドい旦那はあなたも一緒じゃないか」
と言いたい気持ちになりましたが、本人の前では言わずに心にしまっておきました。
本当に反省してるのか
謝罪・弁明が終わると、一転して和気あいあいとした雰囲気になり「これお土産」と夫からお土産をもらった時は、「この二人は本当に反省してるのだろうか…」と不安に思いました。
まったくもって反省していないのじゃないか…とあきれてしまいました。
夫も妹も普通に話し、私とも普通に会話をしていて、まるで何事も無かったかのような、夢でも見ていたのかというくらい、普通の雰囲気に戻っていました。
その時の私は二人が何を考えているのか、どういう考えで普通の雰囲気でいられるのかが、とてもとても不思議で仕方ありませんでした。
不安ばかりで、夫への不信感も妹への不信感も拭えないままでしたが、このまま実家で生活していくわけにも行きませんでした。
妹がシングルマザーになり、実家に住む事になったので、なるべく早く普通の生活に戻らなければという焦りと、母親にこれ以上負担をかける訳にはいかないといえ思いがありました。
強くならないと
心の傷は当然癒えているはずがありませんが、ずっと落ち込んでいるわけにもいきません。
子供達にも心配をかけてはいけないと思い、心を決めて夫と一緒に普段の生活に戻る事を決めました。
それからは実家を離れ、普通の生活に戻る事になりました。
急だったので狭い家しか見つかりませんでしたが、夫の実家から出て同居生活を解消し、家族だけで生活して行く事を決めました。
その時、お義母さんはまだ正気では無かったのか
「私を捨てていくのね」
なんてことを言われ、それからはなんだか気まずい雰囲気になりました。
とはいえ子供達のことは可愛がってくれているので、これからも面倒は見させて欲しいと言われました。
夫の問題が解決したあとはお義母さんか…と正直本当に気が滅入ってしまいそうになりました。
反省は言葉だけだった
お義母さんの手を借りない以上、夫にも家事・育児をやってもらう必要があり、最初は手伝ってくれていました。反省しているアピールでもあったのでしょう。
しかし、反省という言葉はやはり最初だけで、日が経つにつれて夫の態度は元の何もしない夫に戻ってしまいました。
その時に「あぁ、男ってやっぱり反省出来ない生き物なんだな…」と。
それからというもの、夫には何も任せる事は出来ないと考える事にしました。
何を言ってもダメだと、もう信用出来なくなりました。
そこから私のワンオペ育児が始まりました。
正直もう信用出来ないという状況ではなく、こういう人だから仕方がないんだ、その人を選んだのは私だから仕方がないと、諦めることにしました。
今度は借金問題
二人で生活を始めた時に夫に言われたのが借金の話でした。
妹と生活をする上で作ったという借金が50万円程ありました。
私はそれ以前は家庭内、実の妹との不倫だったため慰謝料などには目をつむっていました。
それで全て丸く収まるなら…と思った私の考えは甘かったようです。
借金があるなんて知らなかった私は、目が飛び出るくらい驚きました。
そして、どうして何もしていない私が肩代わりしなければならないのか?と苛立ちも覚えました。
しかしシングルマザーになった妹に、ましてや解決した後に借金を払って欲しいとも言えず、夫の給料を貰っている身なので仕方なく払い続けました。
借金問題もあり、しばらくの間は苦しい生活が続いていきました。
今思えば、あのとき甘さを出さずに、少しでも払ってもらえば良かったな…と後悔しています。
それでも私が選んだ選択肢だから文句は言えないと、頑張って行こうと決心しました。
ようやく訪れた普通の生活
私達の生活はやっと普通の生活に戻りました。
何事も無く、ただ毎日友達のような会話が続いていました。
そのあいだに妹は再婚し、2人目の子供が産まれましたが、再婚した旦那さんとも仲が悪くなり、2度目の離婚をすることになりました。
私はというと、完全に夫への愛情は冷めきってしまい、喧嘩をする度に以前の事を思い出したりしますが、もう当時のことをを口にする事はなくなりました。
今でもはっきりと覚えているくらいトラウマにはなりましたが、あの時の私の決断を間違ったものにしたくないので、もし何かあっても、子供達が大きくなりちゃんと理解してくれるようになるまでは離婚はしないつもりです。
そう考えると、あの時の経験が人間としても、母親としても強くしてくれた出来事だったんだなと思います。
今は長男は小学校高学年になり、ある程度の事がわかってきています。
夫は子供達へ愛情をそそいでくれていますが、私は夫への愛情なんてものはもうありません。完全に冷め切っています。
期待をするだけ無駄という事が分かってしまったからです。
冷めているというよりは友情に近いような関係になっています。
言いたい事を言いあって笑い合うような関係になっています。
友達のような関係でも、子供達の親と言う事には変わりは無いので、パッと見は特に夫婦の仲が悪いという事も無いと思います。
たまに喧嘩をしたりしますが、次の日まで持ち越さないようにしたり、怒っていても当時の不倫事件の事は言わないようにしています。
それが私達の家族の形だと思うようにしています。
今後私と夫の関係がどうなるかは分かりませんが、あの不倫事件の事は絶対に忘れませんし、許しません。許せるわけがありません。
ただ今の生活が崩れるような事さえなければ、私は幸せです。